古瀬絵里の画像 ふるせえり
古瀬絵里の画像
山形県名産のスイカにちなんで、「スイカップ」というニックネームということだったのね
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[来歴
2000年4月、NHK山形放送局に契約キャスターとして入局。「きらり!やまがた」などに出演。
2003年6月に放送されたNHKの東北地方ネット番組「ウィークエンド東北」で山形放送局からの中継に出演。バストの異様な大きさに仙台放送局のMC担当アナウンサーも吃驚していた。これが後にスポーツ紙の話題となる。
2003年6月中旬、スポーツ紙に巨乳と出身地・尾花沢の名産品であるスイカを引っ掛けて「スイカップ」と大きく取り上げられ、後のあだ名となる。
2003年夏、サッカーJ2「モンテディオ山形」の柱谷幸一監督(前栃木サッカークラブ監督)との「不倫」疑惑が写真週刊誌に報道され話題になった。このことはチーム名をもじって「モンデチチ事件」「モンデナイヨ事件」などと呼ばれた。同チームは8位でシーズン終了。また柱谷監督の契約非更新が発表され事実上の解任となった。この不倫報道については、事実ではなく捏造であると後にTVや雑誌で古瀬絵理本人が語っている。当時は立場上(NHKの意向)、釈明をすることができなかった。
2003-4年、不倫疑惑と共に山形放送局との契約切れ後の動向が話題になる。巨乳ということでイエローキャブが獲得に乗り出すのではとささやかれ、当時の社長である野田義治の発言が何度も話題になった。
2004年3月、山形放送局と契約が切れ、OTOに所属する。
2004年5月30日、「世界ウルルン滞在記」(毎日放送・TBS系列)でOTOに所属後初のテレビ出演をする。ポルトガル・モンサント村の酪農家を訪れ、そこでの山羊乳の乳搾りやチーズ作りなどの体験取材を行った。また、その酪農家には山形名物の芋煮をプレゼントした。
2004年9月放送開始のTBS系の昼の情報番組「情報とってもインサイト」(月~金 12:00~13:00、JST)のコーナーレギュラーとして出演。2005年4月の番組リニューアル後(タイトルは『きょう発プラス!』)も引き続き出演していた。しかし、同年5月に降板した。その後もドキュメンタリーや紀行番組などのレポーターなどで出演中。また最近はバラエティー番組のゲスト・コメンテーター出演も増えつつある。
2006年1月4日「いい旅・夢気分(拡大版)」(テレビ東京)で当時ライブドア社長の堀江貴文(共演は他に山本太郎、すほうれいこ)と地元山形の旅へ。仙台から堀江の自家用ジェット機で一路庄内へ。湯殿山での山ごもり修行等を経験し寒中みそぎで水温2℃の川の中へ。
2006年、週刊現代(講談社)で初めてグラビアに挑戦し話題となり、それ以後同誌や青年向け漫画雑誌「ビッグコミックスピリッツ」(小学館)などでセクシーショットを披露するように。
2006年3月~9月、パソコンテレビGyaOの、ディリーニュース「NEWS GyaO」にてキャスターを務める。ネット界のトレンドを紹介する「ネットニュース」のコーナーでは、28歳とは思えぬ「エロかわいい」姿が話題に。
2006年11月~2007年3月、パソコンテレビGyaO(ニュースch)で配信する、生トーク番組「GO!GO! GyaO(午後ギャオ)[1]」にてキャスターを務める。
2007年8月から番組終了まで爆感!グラビア帝国のMCを務めた。
2008年3月まで旅チャンネルの情報番組、旅ちゃんガイドのMCを務めた。
2008年9月までTBSラジオの中村尚登ニュースプラザでアシスタントを務めた。
特徴 [
「巨乳」であることと、山形県名産のスイカにちなんで、「スイカップ」というニックネームで有名。名前よりもこのニックネームのほうが世間に知れ渡っている。
中学校社会科第1種教員免許や野菜ソムリエ(ベジタブル&フルーツマイスター)、マネーマネジメント検定1級の資格を持っている。
お酒が好き。焼酎を好んで飲む。『今日の寝酒』と題してブログで様々なお酒を紹介している。
オフィス・トゥー・ワンと契約し、上京したときから、ヨガを続けている。他にも、ピラティス、フラメンコ、着付けなどを習っており、多趣味である。
特技はウインタースポーツ(スキー、スノーボード)で、トライアスロンに出場した経験がある。
北斗の拳のファン。単行本を全巻所持している。
1978年6月12日に発生した宮城県沖地震で被災するが、奇跡的に助かる。このエピソードを2008年8月23日放送のTBSラジオニュースプラザにて紹介された。『当時、古瀬絵理は背の高いタンスの側で昼寝をしていた。地震発生によって、タンスが倒れ、古瀬絵理が寝ていた布団の方向に倒れたが、地震発生直前に祖母が散歩に連れ出しており、タンスの下敷きになることはなかった。その日は、たまたま、習慣にしていた夕方の散歩の時間よりも早く祖母が連れ出していた結果、被災を免れた。番組の中で、中村尚登は「おばあちゃんが散歩に連れ出してくれなかったら、ラジオでこうやってしゃべることもなかったし、胸も小さくなっていたかもしれない。」とコメントしている。』 ]
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