渡辺万美の画像 わたなべばんび 父へ恩返しする意味も込めて事務所に「この芸名で」
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泣けるじゃねえか
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[高校3年生だった当時の2007年10月16日に本名で出場したトリンプ・インターナショナル・ジャパン主催のヒップコンテスト「ショウ・ミー・ユア・スロギー」日本大会で、112人の応募者の中から優勝者に選ばれ、「日本一のお尻美人」として注目された。この出場直前には、整髪するために高温にしていたヘアーアイロンに誤って座り、尻の右下にやけどの痕を残すというアクシデントもあった。そして同年10月31日にドイツのミュンヘンで行われた同じコンテストの世界大会に進出したが、受賞は叶わなかった。
この日本大会が、特別審査員を務めていたサンズエンタテインメント社長の野田義治のプロデュースによる芸能界デビューが約束されたものであったため、この年の11月5日にサンズと契約。そしてこの10日後に受けたというオーディションから、『あしたの、喜多善男〜世界一不運な男の、奇跡の11日間〜』(関西テレビ制作・フジテレビ系)のレギュラー出演者に抜擢、この作品が初テレビ出演にして初レギュラーとなった。本人は栗山千明のファンでもあり、本作で共演することも実現した。グラビアデビューは『月刊プレイボーイ』だった。
通っていた高校は芸能活動を禁止していたため自主退学し、転校した[1]。
これ以前にも、ミュージカル『アニー』のオーディションに何回か応募したことがあったが、合格しなかった。その後もミュージカル出演への意欲は強く、サンズを所属事務所に選んだ理由も『グラビアだけではなく、ミュージカルのようなこともやっていたりするから』ということである[2]。
2歳に祖母からもらったペンギンのぬいぐるみ「ペンペン」がなければ眠れない[3]。
芸名について
『万美』という名前は元々、イタリア料理店で働いていた父親が「子供」を意味する「バンビーノ(Bambino)」というイタリア語に因んで命名しようとしたが、周囲の反対に遭い、これは叶わなかったという。そこで本人が、芸能界入りを後押ししてくれた父へ恩返しする意味も込めて事務所に「この芸名で」ということを直訴したとのことである。
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